ケータイ活用
私たちは「アンテナを持つ人間」になることができました。
研究所は教育というキーワードで新しいケータイ文化の創造のお手伝いします。
1.携帯電話からケータイへ
携帯電話は、いわゆる従来の電話機能を中心にした利用方法でなく、いつでも離れた場所にいる相手と適当に距離を保ちながらコミュニケーションが取れるコミュニケーション端末として、また、いつでもどこにいても必要な情報を得ることができる情報端末として、あるいは、特定の人といつでも繋がっているという安心端末としてなど、今までにない新しい情報機器としての新しい使い方が定着しつつあります。
これらの根底にあるのは、自分と常に一緒に移動することができる、すなわち携帯できるということが大きな意味があります。言い換えると「人間にアンテナが付いた」ということになります。そのため、その使い方も多様で、新しい文化が生み出されつつあります。このような状況のなかで、当初考えられていた「携帯電話」でなく「ケータイ」とカタカナで表現するようになりました。
2.ポケベルからケータイへ
携帯電話は、家庭の電話が携帯できるようになったものと捉えるのは、間違っています。ポケベルが進化したものと捉えたほうが正しいでしょう。
ポケベルは、当初ビジネスの道具として開発されました。しかし若者がその目的を超えて、新しい双方向コミュニケーションの道具として使い始め、ポケベル文化を生み出しました。携帯電話を当然のように受け入れて使い出したのも若者です。ポケベルでのコミュニケーションの方法がケータイになっても、短文によるチャット的メール文化として受け継がれ、便利なはずと思われていた電話機能よりも定着しています。
現在、私たち大人も若者の後を追うように携帯電話を所持しだし、手放すことができなくなっています。さらに、その使い方も電話機能中心でなく若者的な使い方、すなわち「ケータイ」としての活用が始まっています。
3.ケータイ文化
ケータイは新しい文化を作り出しています。アンテナをつけると、雑音も入ってくるでしょうし、知らない世界も覗いてみたくなります。新しい文化には、問題点が多々生じてくるのは当然のことと考えられます。
子どもが、自転車に乗れるようになると、行動範囲は広がり、交際範囲も広がり、知らない土地に行けるようにもなり、今まで経験できなかったことができるようになります。でも、交通事故の可能性は大きくなります。メリットとデメリットのどちらを選ぶか、また、デメリットをどのように最小限に食い止めるかが自転車に乗ることを認める判断の基準になります。
子どもにケータイを持たせない運動が起こりつつありますが、若者が創造しようとしているケータイ文化にブレーキをかけているのが、新しい文化についていけない大人たちのようにも思えます。大人の役目は、ブレーキをかけることでなく、快適に走れるように環境を整えてやることではないでしょうか。逆に、健全な文化の創造を阻害するような、品質の悪いコンテンツや問題が起こる可能性のあるサイトを提供しているのも大人です。
4.ケータイは学校教育にいらないものか?
文部科学省は、学校における携帯電話の取扱い等について(通知)(平成21年1月30日)のなかで、「携帯電話は、学校における教育活動に直接必要のない物」と定義しています。本当に教育活動に直接必要のないものなのでしょうか。携帯電話は教育活動に直接不必要としても、ケータイは「学習を支援する道具」として有効な道具になりうると考えます。黒板とチョークによる一方的な講義には不必要でしょうが、情報社会での新しい教育スタイルを生み出すためには、なくてはならないものだと思われます。「携帯電話の教育利用についての可能性等について」という通知も出してほしいものだと考えます。ケータイがさらに進化してパソコンと区別がつかなくなる日もそんなに遠くはないでしょう。「ケタパ」という新語が誕生するかもしれません。そのときにも「ケタパは、学校における教育活動に直接必要のない物」という通知が出るのでしょうか。
私たちの研究所では、教育というキーワードで新しいケータイ文化を創造するお手伝いをできたらと考えています。そのためのシステムやコンテンツ、考え方などを掲載していきますので、時々このWebページをご覧ください。
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/1234695.htm(文科省通知文)